翡翠館 庭園
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ニールズ作品のタイトルについて
夢の先には
小さな愛の願い
ヘンリエッタは幼い時に両親をなくし、祖父母に育てられましたが、彼女が6歳になろうとするとき、祖母が亡くなり、彼女のことを面倒みきれなくなった祖父によって孤児院に入れられます。孤児院は18歳までしかいられないところですが、その後3年ほど、子供たちに勉強を教えながらとどまっていましたが、孤児院の所長が代わった時に孤児院を追い出されて以来、ずっと一人で細々と暮らしていました。
仕事を2つ同時に失い、おまけに入院している間に住んでいたアパートまで他人に貸し出されてしまい、住むところも無くなったヘンリエッタに、彼女が勤めいていた病院の医師、アダムが救いの手を差し伸べます。彼の知り合いがマナーハウスの公開の日数を増やすためにスタッフの増員が必要になったという話を聞き、アダムはヘンリエッタを紹介したのです。
報われないと知りつつ、一人の人に思いを寄せるとか、彼以上の人はこの世にいないと考えることは、現実的に考えれば馬鹿げてる、と思うのです。人の心は移ろうものだし、この先もっと素敵な男性に出会えるかもしれない。でも、恋をしている時って、そういうものなんですよね。ニールズのヒロインたちは大抵そうなんですが、自分がヒーローと結ばれる可能性はないと知りつつも、ヒーローの幸せを願うのです。彼が結婚する相手が、どうか彼をちゃんと世話して愛してあげて欲しい……。ニールズの作品の中によく出てくる格言で「恋と戦争は手段を選ばない」というのがありますが、どんな手を使ってでも相手と結婚しようと頑張るヒロインの恋敵たちは、結局のところヒーローを愛しているわけではないのです。もし、本人がそう思っていてもそれは間違い。本当の愛とは、心の底から相手の幸せを願うことなのではないかと思うのですけどね……。もっとも、ニールズはいつでも、その、ヒーローの幸せを、ヒロインが実現させてくれるように計らってくれます。だからこそのロマンス小説です。
愛は深く静かに
愛は深く静かに 原題:The Quiet Professor、初版1992年
ヒロイン:メガン・ロドナー(看護師)
ヒーロー:ヤケ・ファン・ベルフェルト(医師、オランダ人)
これは結構好きな話です。5回くらいは読み返しているはず(私の好きな作品の度合いは読み返した回数でわかります)。
話の筋は、「ヒロインには婚約者がいる」→「その婚約者との破局を迎える」→「かねてからヒロインを好きだったヒーローが、ヒロインの心の傷を癒し、かつ、彼女の心を射止める」というパターンで、これとよく似た話に「幻のフィアンセ」「めぐる季節の贈り物」があります。この3作品、ヒロインがみんな美人で、背が高く、ヒーローとは勤務する病院で医師と看護師という関係というところまで同じという、本当に似てるんですが、「幻のフィアンセ」はヒーローが結婚歴があって、子供がいるというところが、「めぐる季節の――」はヒロインの元婚約者がとんでもなくひどい奴だったというところが(この作品の元婚約者はそれほどひどい人ではないのです)違います。あとは、大体一緒かなあ……。ただ、ほとんど同じ話にもかかわらず、私のお気に入り度合いで言えば、どうしても「幻の――」や「めぐる――」の方に軍配が上がってしまうのは、ヒーローのヒロインに対するかかわり方のちょっとした違いのせいかなあと思います。
いや、ヤケは素敵なヒーローですよ。原題の通り、病院内では無口でとっつきにくい教授として見られていても、本当は優しくて、ヒロインのためならどんな苦労も厭わない(ただ、それをヒロインに悟られないようにしてますが)。元婚約者のためを思って自分から身を引いたにも係わらず、ずっと彼のことを引きずってめそめそしているメガンに、「仕事をやめて環境を変えてみては」とオランダの孤児院で働くことを勧めた上、彼女が可能な限りスムーズに仕事を辞められるようにヤケは「多くの時間を割き、考えをめぐらせ、根回しをし」準備を整えます。自分の答えたくない質問は無視したり、あくまで自分の考えたことを押し通そうとするところはあっても、それはそれで頼もしい……。
ただ、そうして、無理やり(?)オランダにつれてきたメガンに対して、突き放すような態度を取ってしまうヤケにちょっと引っかかるんです。ヤケとしてみれば、メガンの環境を変えるにしたって、自分の目の届く所に置いておきたいと思うと言うのは理解できますが、だったら、もっと優しくしてやれば? このままでは、メガンが可哀想だ……。後半はそんな思いで読んでました。でも、まあ、彼としても、歳の差のことを考えたりして(と言っても、多分10歳くらいしか違わないはず)、苦悩はしてたみたいですが。
余談ですが、ニールズの作品は2000年位から「ハーレクイン・イマージュ」として出版されていますが、それ以前は「ハーレクイン・ロマンス」でした。で、「ハーレクイン・ロマンス」の表紙は以前はイラストだったんですね。で、この作品の表紙を飾るヒーローとヒロインのイラストは、本当に作品のイメージどおりだなあと思っています。
余計な事とお思いでしょうが
ニールズの作品を鑑賞するにあたって、意味のないこと、だとは思うのですが、ニールズの作品を古いものから新しいものまでリスアップしていて、2,3気が付いた事があるので今回はそれについて書いてみようと思います。
まず、これは以前書いたことがあるのですが、古い作品はヒーローの心理描写がほとんどなく、新しい、つまり、ニールズにとって晩年の作品になるほど、ヒーローの心情が描かれている作品が多いということです。1990年前後を境にして、ヒーローの心理描写が多くなっているような気がします。初期の頃の作品は、ヒーローが何考えているのか、最後の最後にプローポーズするまで分からない(ま、大体分かるんですが)のですが、後期の作品になると、「デイジーの小さな願い」のユールスのようにヒーローの苦悩がありありと分かるようになっています。個人的にはどちらも好きですが。
次に、ニールズの作品のヒーローはほとんど医者で、それはニールズの作品全体を通して変わりませんが、ヒロインの場合、1995年以降、ほとんど看護婦以外の職業になってきます。ニールズの作品を全部読んだ訳ではありませんが少なくとも、私が読んだ中では1995年以降の作品に看護婦のヒロインがいません。職業的には秘書だったり、ナニーだったり、家事手伝いだったり……。ニールズ自身、看護婦でしたが、60歳くらいで看護婦を引退し、作家生活に入ります。さすがに、引退して30年も経つと、最新の医療技術についていけなくなったからかなあとか、考えたりしますが、ヒロインがどんな職業でもニールズの作品の魅力は変わりません。むしろ、私の好きな作品は、ヒロインが看護婦でない作品の方が多いような気がします。
最後に、これも、以前書いたことですが、初期の頃の作品には不遇な少年、青年時代をおくったヒーローが何人が出てきますが、そのあとにはほとんど出てきません。ニールズの全作品を読んだわけではありませんが、少なくとも私が読んだ範囲ではそうです。ニールズの作品のヒーローのほとんどは、不遇どころか、大勢の兄弟がいて、優しい両親がいて(父親は亡くなっているという設定の話もかなりありますが)幸せそのものの家庭に育っています。で、ほとんどの場合、長子で長男なんですよね。で、その兄弟たちもみんな良い人で……(「海辺の思い出」に出てきたヒーローの弟だけは最低でしたけど)。これって、ヒロインが不遇な環境にある場合が多いので、それと対比させるためかなあと思ったりしますが、例えば、「春を待ちわびて」や「幻のフィアンセ」やみたいに、兄弟がたくさんいて幸福な家庭のヒロインもいることだし、まあ、ヒロインの環境は千差万別ですね。
ニールズの作品のうち、まだ半数をちょっと超えた程度しか読んでないので、あれやこれやと指摘するのもおこがましいのですが、個人的にはこういうことを考えるのは楽しいです。あと、いろんな作品の中に、他の作品のヒーロー、ヒロインが夫婦として登場している事を発見した時は思わずにんまりしてしまいます。そういう、スピンオフについては、また機会があったら書きたいと思います。
すこしだけ回り道
すこしだけ回り道 原題:A Secret Infatuation 初版:1994年
ヒロイン:ユージェニー・スペンサー(看護師)
ヒロイン:アデリク・レインマ・テル・サリス(医師・オランダ人)
3月はとうとう1回も更新しませんでした。忙しかったから、ということにしておきましょう。
さて、この作品は私の中では割と好きな部類に入ります。何というか、ニールズの作品のいろんな要素が詰まっている作品で(ヒーローには美人で性格の悪い婚約者がいる。ヒーローの要請でヒロインがオランダで臨時的に仕事をする。ヒーローの婚約者のに騙されて、ヒロインは自分の思いを告げることなくオランダを去り、イギリスに帰る。等等)すが、ヒロインの性格はニールズの作品のヒロインのなかでは割りと少数派に属してます。つまり、「売られた喧嘩はきっちり買います!」といった性格なんです。ユージェニーは美人ですが、彼女はそれを鼻にかけて自信満々なのではなくて、その性格は生来のもののようです。なので、全く嫌味は感じられないし、むしろ清々しい。それに、無理やりヒーローを婚約者から略奪しようとしません。アデリクが婚約者を愛していると認識した後は(間違ってるんですけどね、この点は)あっさりと身を引きます。その辺りに、ニールズの、決して超えない一線があるような気がします。
ユージェニーはアデリク専属の看護師なので、アデリクが要請されて海外に行く時にも一緒についていきます。ポルトガルのマデイラ島では仕事が終わってから2人で観光を楽しみましたが、戦争真っ只中のボスニアへ行き、砲弾やライフル銃の音が飛び交う中手術を行うというスリリングな体験もしました。このあたり、他の作品に比べて結構ドラマティックです。イギリスの田園地方のみが舞台、という話に比べればという意味で……。
この作品の最大の問題は、アデリクの婚約者サファイアラをどうするか、ってことですが、彼の場合、サファイアラのパーティーや観劇への誘いをことごとく断り、自分とサファイアラの生活スタイルが如何に違っているかということを認識させることで、サファイアラ自ら婚約解消を言い出すように仕向けます。結局彼女のアデリクに対する思いもその程度のものだったということですが、その程度でよかったんですよ。そうでなかったら修羅場になりますからね。
アデリクの方から婚約解消を申し出るという方法もあったんでしょうけど、その場合だとサファイアラが同意してくれたかどうか……たぶんしなかったでしょうね。
ヒーローにはすでに婚約者がいて……という話は結構ありますが、ヒーローたちは大体この手を使ってるみたいです。こんな方法は卑怯だと考える人もいるかもしれないけど、待つことさえできれは、この方法が誰も傷つけずに住む方法ではないかと……。もちろん、婚約者がヒーローの財産と地位と名誉だけにしがみついている場合に限りますが……。
Three For A Wedding
Three For A Wedding(邦訳されているかどうか不明)初版:1973年
ヒロイン:Fhoebe Brook(看護師)
ヒーロー:Lucius vav Someren(医師 オランダ人)
面白かったなあ。
ニールズの作品を70冊も読んでいれば、大体プロットが似た話がたくさん出てくるんですが、これはちょっと他の作品と違います。何が違うかって、ヒロインがオランダに行くことになた理由です。ヒロインがオランダに行く話しはたーくさん(全作品の半分以上がそうだと思われます)ありますが、大体はヒーローに請われてオランダの病院で働くとか、誰かの看護を頼みたいとかそう言うことなんですが、Fhoebeの場合は数ヶ月オランダに派遣されることになっていたSybilの身代わりとなってオランダに行くことになります。Sybilが、「恋人とすぐに結婚したいから、お姉ちゃん、私の変わりに行って頂戴!」というわけです。色々な手続きや手配がすんだ後のことなので、Fhoebeは自分をSybilと偽ってオランダに行かなければなりません。Sybilの「私をオランダに連れて行くことになっている医師はぼんやりした人だし、私の顔を良く見てなかったし、私達はとてもよく似た姉妹だからばれっこないって」という言葉を信じてオランダ行きを決心したFhoebeですが、実は、イギリスの病院で彼に最初に会った瞬間、ばれてました。
つまり、そのぼんやりした医師Luciusは、彼女がSybilではないと承知の上でオランダまで連れて行き、オランダに上陸したとたん、彼女のことをFhoebeと呼び、彼女を愕然とさせます。Luciusは全然ぼんやりした人ではなかったんですね。
さて、このLucius、独身ですが、事故で死んだ友人の息子、Paul(9歳)を引き取って養子として育てています。でも、彼は仕事で家にいないことが多く、PaulにはMaureenという家庭教師がいて、この家庭教師がとんでもない女で……。
本当にとんでもない女なんです。Luciusの前では有能な家庭教師を装いながら、Luciusが留守の間に彼の家に友人を招いてパーティーするなんてまだ可愛いほうで、Paulに「FhoebeはあなたからLuciusを奪おうとしている」と吹き込んだり、LuciusとFhoebeが誕生日にPaulに贈った子犬を虐待したり……。ところが、こういうMaureenのひどい裏の面をLuciusは全く気付かない。変だ、変だよ。Fhoebeのことだったら、どんなに些細な感情の乱れも気が付くのに!
でも、一度Paulの信頼を得たら、MaureenなんてFhoebeの敵ではありません。色々ありましたが、Maureenに吹き込まれたLuciusの誤解もPaulが解いてくれてめでたくハッピーエンド。きっとFhoebeとLuciusとPaulと幸せな家庭を築くのでしょうね。そして、いずれ生まれてくる子どもも加わって……。Paulは頼もしいお兄ちゃんになりそうです。
ところで、このタイトルですが、これは作品のはじめの方で、FhoebeがSybilに自分に代わってオランダに行ってと説得された時、近くに3羽のカササギがいて、Sybilが“One for anger ,two for mirth three for wedding"といった台詞から来ていますが、イギリスでは目にしたカササギの数が幸福や不幸の予兆とつながっているという伝承があるらしいのです。Sybilはたまたま目にした3羽のカササギが自分の結婚の予兆だと思ったのかもしれませんが、実はFhoebeの予兆でもあったわけですね。
宮崎生まれで、現在沖縄に住んでいます。
青い海も好きですが、それよりふるさとの緑の山々が恋しい……。